父が早くに亡くなり、母が看護師として育ててくれました。自主規制しますが(笑)、若い頃から社会の荒波に揉まれ、たどり着いたのが眼鏡屋。94年のことでした。しかし翌年の阪神淡路大震災であっけなく潰れた。途方に暮れているぼくを拾ってくれたのがその店が取引していた福井の工場でした。
世話になっておいて申し訳ない話ですが、いわゆる分業制のものづくりはちっとも面白くなかった。日々、ラインの一部でパーツを組み立てながら、ぼくはこう思うんです。丸ごとひとりでつくれたら面白いんちゃうかって。
目標をみつけたぼくはその後、デザイン会社や眼医者など眼鏡関連の働き口を転々とし、結果的にひと通り経験することになりましたが、馘になったところもありますし、師匠について手取り足取り教わったのとは違う。眼鏡づくりの技術はほとんどがみずから頭を悩ませて完成させたものといっていいと思います。
なかなかに痺れる下積み期間でした。それだけでは生活できませんから、手っ取り早く稼ぐために眼鏡とは関係のない仕事もはじめました。易きに流れずにすんだのはモッキーさんのおかげ。あ、モッキーというのはぼくの奥さんのこと。智子(ともこ)の「も」をとってモッキー、ぼくは直記(なおき)だからナッキーというわけです。
DJの仕事で入ったカフェのホール係がモッキーさんでした。出会って1週間で籍を入れました。
(モッキー、登場)
モッキー ナッキーさんはどこか独特な空気を纏っている人でした。けど、はじめてのデートでとにかく気が合って、楽しくて楽しくて……。じつはそのころわたしは暗黒時代真っ只中にいました。一種の躁状態やったんでしょうね。役所に婚姻届を出したのも覚えていないくらいですから(笑)。で、一緒に店やらへんかっていわれました。
ナッキー ふたりではじめたのはカレー屋兼眼鏡工房というスタイル。変でしょ(笑)。でも変なおかげで取材がくるようになった。マークさんのお義母さんもそれでぼくらを知ってくれたんやから正しい選択やった。
モッキー え、料理? ホールしかやってへんから、もちろん料理なんかしたことない。けどカレーやったらなんとかなるんやないかって(笑)。で、わりとなんとかなって、最後のころはランチも人気でした。
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