【第9回】<SUZUSAN/スズサン>|“風通しのよい”使い勝手の伝統工芸品を目指して
むらせ・ひろゆき●1982年、名古屋市生まれ。鈴三商店5代目、<スズサン>クリエイティブディレクター。英国の美大やドイツのアカデミーを経て、2008年にSUZUSAN e.K.を設立。ドイツのデュッセルドルフと有松を拠点に活動。
古きよき製法でつくられた、有松鳴海絞りにモダンな感性を添えて
<SUZUSAN/スズサン>の4代目である父から、小さいときに「あと十年もすれば、有松鳴海絞りの職人はいなくなるかもしれない」と言われたときのことを、村瀬弘行氏はいまでも忘れない。高校卒業後は家業を継がずに、海外でアートの道を志した。たまたま持っていた端切れが、外国の友人の目には工芸を超越したアートに見えたことから、有松鳴海絞りを見直した。端切れが生まれた地であり、村瀬氏の故郷は、古都のような街並みが美しい名古屋市有松の東端。SUZUSANのアトリエは、国道1号沿いにある。モダンな戸建住宅のような建物だ。
この地域では、生なりわい業でなくとも、かつて女性の多くが7歳になるくらいまでに絞りを会得したという。生活に密着しながら絞り染めの技巧が極められ、最盛時には300から500の技法が編み出されたと言われている。「一人一技法」が基本だった。完全な分業制をとるため、技法をもった職人が亡くなったり、廃業するとその技がなくなる。絞り染めの技法は、いまでは30余に減ってしまった。
模様が細かければいい、難しいテクニックこそ是、という価値観を覆そうと村瀬氏は思った。大胆な絞り染めは、当初父や地元の職人にいぶかしがられたこともある。しかし、使い手ありきの思想を貫いた。それを「“風通しの良い”使い勝手」と彼は言う。視線も、オーラも、そのもので止まらない、すっと風のように抜け、使い手に寄り添うものでありたい、と。伝統工芸であり、ファッションでもある――物事のとらえかたが多面的であることが村瀬氏のなかに常に上位概念としてある。
工房で職人たちが布を糸で縛り、染めの準備をしていた。素人目には、連なったレンコンのように見える形状に絞り、染め場に持っていく。おおよそストールとは想像がつかない。
染め専門の職人は慣れた手つきで染料を配合し、レンコンめいたものを浸し、所定の時間待つ。「オーダーどおりの色を表現できるかどうかがすべて」と言う。薄くても、濃くてもやり直しがきかない。染め上がり、布を広げながら、文様の仕上がりを確かめていく。脱水機から取り出した布を見る。「ここを染めなかったからこの模様になったのか」と、染まった布を広げながら答え合わせをするのは周りで見ている我々だけで、当たり前だが職人たちの頭のなかには最初から完成形が見えていたのだ。
最初は志さなかった自分のケースもあったから、村瀬氏は有松鳴海絞りの伝承に積極的だ。遠く沖縄や新潟から門戸をたたいた若き職人を受け入れ、惜しみなく技を教える。また、海外や国内の学校でも教授し、有松鳴海絞りの良さを伝えている。取材の当日も、スカイプ授業で熱心に学生たちに発信していたのが印象的だった。職人に求められる技能は「ものをつくること」だけではなく、「技術を教えること」も含まれると考えるからだ。
今後、有松鳴海の絞り染めの技法が劇的に復活することはないかもしれないが、PC画面に向かって一人で白熱教室をしている村瀬氏を見ていると、伝統を頑なに守ることだけが絶対ではなく、むしろ時代に即し柔軟にものづくりをしていくことこそが、現存する伝統工芸技法を次代に継承するのに重要なファクターだと気づかせてくれる。