2016.10.18 update

【鼎談】Made in Japanの魅力に溢れた昭和の運動靴<Panther/パンサー>に魅せられた男たち(1/5)

1960年代、昭和の日本に、パンサーというスニーカーがあった。「スニーカー」という言葉が、あったかどうかすら怪しい時代である。「運動靴」、それが正しい呼び名だった。ファッションとして運動靴を履くことが、まだ認知されていない、運動靴はあくまで学校の体育の授業か部活動で履く、まさに運動するための靴でしかなかった時代のことだ。


パンサーの誕生は1964年。東京オリンピックが開催され、スポーツシューズの需要は急激に拡大していたことが確かな時代だ。パンサーは学校販売を中心に、小中学生に圧倒的に支持されていたのである。当時、子供のいる家庭の玄関には、履き込まれ土埃にまみれたパンサーが必ずあった。しかしその後、海外ブランドの台頭とともに、国内のスニーカーブランドは衰退の道を歩むこととなる。時代の申し子であったパンサーも、その波に飲み込まれていった。


左から、田畑智康(三越伊勢丹)矢作理之(世界長ユニオン)国井栄之(ミタスニーカーズ)市之瀬智博(WISM)