2015.11.23 update

【インタビュー】アルベルト・ガルディアーニ|スポーツにまぶした洗練(1/2)

日本上陸とともにイセタンメンズの一角に地歩を固めてはや20年。息の長い活躍を支えているのは、いち早く確立したラグジュアリー・スポーツというスタイルである。


1970年代はイタリアのファッション業界がフランス・メゾンの配下から脱して華開いた10年である。ジョルジオ・アルマーニが自身のブランドを立ち上げたのも「ピッティ・イマジネ・ウォモ」が開催されたのもこの10年だった。そして、アルベルト・ガルディアーニ。

「父が急逝して家業に入ったのは1972年、20歳のときでした」

継がざるを得ない状況にあったのはたしかだけれど、そこに躊躇はなかった。1階が工房、2階が住まいというマルケならではの環境で生まれ育ったガルディアーニにとって、それはごく自然な成り行きだった。職人とはいつも一緒に食卓を囲んでいたからね――。

家族同然の職人のバックアップがあって、ガルディアーニは靴づくりを一つひとつ学んでいく。俯瞰できる目が養われたところで大胆に舵を切った。


「ジャンフランコ・フェレ、ジル・サンダー、ビブロス。イタリアのファッションをけん引していたブランドのOEM生産に乗り出しました。父はいたってオーソドックスなクラシックシューズをつくっていた。2、3人の職人とともにはじめて、最盛期には20人をゆうに超えました。父がいて、いまのわたしがある。敬愛の心はいささかも薄れませんが、わたしはわたしのスタイルを創造したかった。それには先頭を走るクリエイターがなにを考えているのかを知る必要があったのです」

およそ20年におよぶ水面下での活動を経て、1991年にローンチしたのがみずからの名を冠した<アルベルト・ガルディアーニ>。アルティジャーノのモノづくりに落とし込んだのだのは、世の中が快適を志向するなかで台頭したスポーツのエッセンスだった。