島地勝彦(以下 島地)「ようこそいらっしゃいました。まずはここで“スランジバー”。ゲール語であなたの健康を祝してという意味で、スコットランドでは乾杯のかけ声として使われます。」
サロン ド シマジ名物、スパイシーボールを手に、若き画家とバーマンの対談はスタートした。

島地「あなたは今まで一体何作ぐらい描いてきたんですか?」

今西真也(以下 今西)「今の技法になってから、約30点~40点の作品を描いてきました。」

島地「絵を描きながらも、家業である奈良漬屋を継ぐという意思はあるのですね。」

今西「そうですね、代々続く家業ですから継がないと両親に申し訳ないですし、長男である僕が継ぐしかないなと。家業を継げば世界各国を旅してまわるようなことは出来ませんが、家業を継ぎながらも、夢を追いかけられることはなんだろうと考え画家を選びました。」

島地「作品作りのアトリエは?」

今西「今は、実家とは離れた場所に構えています。」

島地「そもそも、こんな技法を思いついたきっかけは何ですか。コンテンポラリーなアートっていうものはああいった作風が多いのかな?」

今西「あの技法を思いついたのは、そもそも“モノ”が存在するってなんだろう、“見る”ってなんだろうって問いかけから始まりました。
色々と作品を作り試行錯誤をしているときに、日本人として現代絵画を描くにあたって今の作風の更新ができるか悩んで行き詰った時に、ふとテレビ番組で浮世絵木版画の東海道五十三次の特集を観ました。
その時、アート界では周知な事なのですが、あの時代に雨の表現を線でしているのは日本人だけだと話をしていました。
西洋人は点で雨を表現しているけれど、日本人は点と点を繋げて線にし表現していると深く考えた時に、逆に点と点を表示すれば、頭のなかで線、更には面へと繋がりイメージが立ち上がるかもと考えました。
日本人として今“見る”ことに問いかけをするならば、写実的にも見えるし、別のものにも見えるかもしれないから試してみるのはどうだろうかと…。
そして色々と絵画を深めようと自らに問いただした時に、絵画には絵の具がある、絵の具のタッチがどう動くのかを表現できないかなと思ったところ、このような『掘る』表現が出てきて、技法として形になりました。」


Photo:Fujii Taku

島地
「とても新しい技法だね。自分で編み出すとはなんと素晴らしい!この技法はいつ頃から始めたんですか?」

今西「2年ぐらい前ですね。大学を卒業する少し前。卒業の制作の時には荒削りですが形になりました。」

今西の技法は、自分で撮影した写真などをパソコン上で加工し、点と線のみにする。それをキャンバスに投影させ、描いていく。
そのキャンバスは、一層目に黒と赤を1対1の割合のもの、二層目に黒と青を1対1の割合のもの、そして一番上に白を重ねた層を作り、それを乾ききらないうちに筆でえぐっていくという、全く新しい発想から生まれた技法だ。