【インタビュー】イタリア・ナポリ随一のカミチェリアアンナ・マトゥッツォ|針と糸、そして献身。
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アンナのアトリエはナポリの海に面した古びたマンションにある。
扉を開ければ、目に飛び込んでくるのは壁面の棚に所狭しとならんだ原反だ。そのほとんどが世界最高峰の呼び声も高いカルロリーバとデイビッド&ジョン・アンダーソン。イセタンメンズのバイヤー、佐藤巧をして、両銘柄がこれだけ揃っているアトリエはみたことがないと嘆息せしめた。
細番手のコットンは繊細すぎてミシンに耐えられない。手縫いが前提になるとはいえ、街場の工房といった風情のアンナに数は望むべくもない。ファブリックメーカーにとってはたとえ注文が少なくても補ってあまりある魅力があるのだ。
ナポリのシャツは手縫いがみどころだ。身体の動きを妨げず、しなやかに寄り添う──肌に直接触れるシャツはこの効用がじかに伝わる。そんなシャツの性格も手伝って手縫いの文化はすこやかに芽吹いた。幸いなことにナポリはこの文化を担うに足る、手先の器用な職人にも恵まれていた。経済格差が生んだ落とし子はみごと華開いた。
なかでアンナが頭ひとつ抜けた存在、どころか、頂点に立つ存在といわれるのは、シャツづくりの要諦をだれよりも知悉しているからだ。それは生産態勢ひとつとってもあきらかである。
「現在、工房で働いてくれるのは7人。みんな女性ね。もちろん男性だって構わないけれど、繊細さと忍耐力がいる仕事ですからね」
アンナはナポリ仕立ての祖といわれるロンドンハウスが礼をもって接し、シャツ部門を長いこと任せたカミチェリアだ。彼女がこれはと見込んで徹底して鍛えたチームに不足のあろうはずがない。しかしそれ以上に見逃せないのは、精神的支柱としての役割だ。
A needle and thread. Dedication(針と糸。献身)──公式サイトになんども登場するフレーズは、シャツづくりがアンナの人生と同義だったことを意味しており、彼女の矜持はアトリエの隅々にまで息づいている。
ロンドンハウスのカミチェリアとして23年
アンナは9歳で叔母のシャツ工房の手伝いをはじめた。現代の日本に暮らすぼくらにはちょっと考えにくいけれど、ナポリではありふれた光景だった。
「夏がはじまるまで働き、夏が終わればまた働いた。え? 夏? 夏は遊ぶためにあるのよ(笑)」
子どもが地味な作業をつづけるのは至難の技だが、駄賃を期待するようなお手伝いではなく、働くことがそのまま生きることだったナポリの少女に途中で投げ出すという選択肢はなかった。戦後すぐの日本のシューシャインボーイを想像すればわかりやすい。彼らは弟や妹を食べさせるため、歯を食いしばって靴を磨いた。小学校を卒業したアンナは叔母の工房に本腰を入れる。それから5年、アンナ17歳の年に叔母は工房を畳む。つぎの働き口に選んだのがロンドンハウスだった。
「ルビナッチ(ロンドンハウスのオーナー)がちょうど職人を探していたところだったの。テストを受けたら一発で合格したわ」
アンナはそれから23年間にわたってロンドンハウスに籍をおいた。
「朝早くから夜の9時、10時まで働いたわ。だから家のことはなにもできなかった。子育ては義理の両親がやってくれた。他に孫がいなかったから、それは宝石のようにかわいがってくれました」
マニカカミーチャに象徴される躍動感あふれるギャザー、さざ波のように現れるドレープからは馥郁たる香りがたちのぼる。イセタンメンズにならぶシャツは肌に触れるすべてを手でまつっている。本来ミシンをつかう直線の部分も含め、その数は全部で13にのぼる。
「ハンド・ポイントはあなたたちが勝手に数えただけで、意識したことがないわ。着心地と見栄えを考えて必要な部分を手で縫っているだけ。もっとも大切なのは袖山ね」
ロンドンハウスにこの人ありといわれたアンナの凄みは、手仕事の妙に加えて、あらゆる人種に応える型紙づくりにある。世界中の目利きを相手にすることで、もともとそなえていた縫いの才が研ぎ澄まされるのと同時に、誂えの呼吸もつかんでいった。
40歳を機に独立したアンナのアトリエには愛娘3人が揃う。長女のシモーナが裁断、次女のロミナが縫製、三女のアントネッラが身の回りの世話をする。「あなたにとっては正直、よい母親ではなかったはずですが」と水を向けたら、アンナに付き添って来日したアントネッラはこう言ってのけた。
「わたしたち姉妹は作業台の上で育ったのよ」
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Text:Takegawa Kei
Photo:Okada Natsuko
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