【インタビュー】井上 聡・清史(THE Inoue Brothers/ザ・イノウエブラザーズ)|深いところで共鳴したサスティナブル
アンデス産ビクーナのニット、南アフリカのビーズ、そして東北の人々とともにつくり上げたTシャツ…。サスティナブルな服をサスティナブルであることに甘えないスタンスで具現化、世界から評価されてきた<ザ・イノウエブラザーズ>があらたなコレクションを発表した。“無染色”のブラックアルパカがそれだ。
交錯するだだっ広い草原と、ひび割れた大地。時折フレームインする、優しい目をした四肢動物は気ままに草を食んでいる。場面が切り替わると、無数の老若男女が一本のロープをもって、のんびり歩く姿が映し出された。ロープにはずいぶんと色の抜けたリボンが結びつけられている。ゆっくり、その動物を柵のなかへ追い込んでいく。
ペルー南部、標高4000メートルにあるプーノは辺境の地のひとつで、南米でも一、二を争う貧困にあえぐアンデスの先住民がアルパカとともに暮らす。
アルパカのなかでも希少なビクーナはかつてインカ人のあいだでアンデスのゴールドと呼ばれていた。1万年前まで遡ることができるビクーナとの蜜月はインカ文明が終わって潰えた。非人道的な収穫がおこなわれ、1964年に絶滅危惧種に指定された。絶滅の危機を免れると、政府は先住民に限って毛刈りをみとめた。冒頭の捕獲方法はインカの時代からつづくもので、捕えられたビクーナは毛を刈られると、そのまま解放される。
30年以上にわたってアンデスの文化に身骨を砕いて接してきたのが「パコマルカ・アルパカ」という研究所の所長であるアロンゾ・ブルゴスだ。
「アメリカの大学を出ると故郷のペルーに舞い戻り、高地を旅して回りました。インカから連なる先住民とふれあい、彼らの生活そのものだったアルパカの存在を知りました。かれらに寄り添って生きていくのはとても自然な感情だったのです」
いまの生活のカタチを守りつつ、すこしでも豊かになれる仕組みづくりをーー。そうしてビクーナをふたたび先住民のもとへ返すことに成功した。血と汗の結晶である副産物を託したのが井上聡、清史の兄弟だった。
「これまでわたしに近づいてくる人々の頭にあったのは儲かるか否かだけでした。ふたりにはそういうところがまったくなかった。ビクーナはおろか、服づくりさえ知らないのもかえってよかった。わたしがイチから教えれば、優秀な生徒になると思ったんです」
井上兄弟がまるで空気のようにその世界へ入っていけたのは、身体の芯のところが共振したからだ。
異邦人であることが育んだきずな
井上兄弟はデンマークで生まれた。まだまだ日本人どころか、アジア人が珍しい時代。マイノリティであることに否応なしに向き合って育った。彼らは、コミュニティに溶け込むためにTシャツをつくった。
「いまとまったく変わらないんですが、ぼくが絵を描いて、弟が工場に発注した。マンガ・タッチなイラストが珍しい時代で、おかげで仲間に入れました。それからは遠足などイベントごとにクラスのTシャツをつくるようになりました」
長じて、清史はビダルサスーンで学ぶため、ロンドンへ。当時を振り返って「楽しくて仕方がなかった、あらゆる人種が集まるロンドンではただひとりの人間としていられたんです」という。清史は腕を磨いてそのままサロンをオープンした。一方の聡は地元コペンハーゲンのデザイン学校に入学。弟の留学費用を捻出しなければならなかった聡は早々に広告代理店でグラフィックデザイナーの職を得る。
それぞれがそれぞれの道を歩みはじめるも、2004年、ふたりはアートスタジオ、「ザ・イノウエブラザーズ」を設立する。人生のほとんどは仕事です。だったら一緒にやりたかったーー孤独な兄弟の絆は、ぼくらの想像をはるかに超えて太い。
スタジオを設立してほどなく、ソーシャルデザインのムーブメントが巻き起こった。これこそ自分たちがやりたかったことじゃないかと湧き立っていた矢先、旧友が書いた南米に関する論文がエシカル・ファッションの団体にみとめられ、国のバックアップで自立支援のプロジェクトが立ち上がる。井上兄弟はそのメンバーに選ばれ、目指すべき方向が定まった。
アルパカのコレクションで耳目を集めると、貪欲に世界の生産者とつながってきた。ナミビア、南アフリカ、パレスチナ自治区、日本の東北地方…。
あくまでエシカルな視点でありながら、プロダクトとして妥協しないところが井上兄弟の凄みだ。ひとつのプロジェクトがカタチになるまでに最低でも3年はかけるという気の遠くなるような取り組みもさることながら、生まれ育って血肉となったスカンジナビアのデザインワークを研ぎ澄まし、たどり着いたミニマルな美しさも見逃せない。そのコレクションがたしかな領域にあるのは、<コムデ・ギャルソン>、<ラコステ>、<スワロフスキー>、『モノクル・マガジン』といった錚々たるブランドがコラボレーションのために行列をつくってきた事実からも明らかである。
そんな井上兄弟が満を持してリリースしたのが、ブラックアルパカだ。
金銭よりも大切な生き甲斐
「本来アルパカは白から黒のモノクロームのトーンで36色あったといわれています。ところが、フランク・シナトラが映画でカラフルなゴルフセーターを着たのをきっかけにニーズは白一色となってしまったのです。それ以外のアルパカがどんどんと減っていき、黒いアルパカはとうとう2000頭に。絶滅危惧種にあったビクーナでさえ6000頭いたことを考えれば、どれだけ危機的な状況にあったかがおわかりいただけるでしょう」
染色を経ないブラックアルパカは、ウール本来のなめらかさと光沢を教えてくれる。一頭で2着分しか採れず、また、2年に1度、計2回の毛刈りを限度とするそのアルパカは中間業者をとおしていないとはいえ、破格、といっていい。
立ち上げ当初から目をかけてくれたクライアントのみに絞るなど本業は縮小の方向にある。崇高な道を邁進するザ・イノウエブラザーズだが、ひとりの力でできることはちっぽけだ。虚無感に襲われたりはしないのか。
「もちろん葛藤の毎日です。しかし、すこしずつでも成果があがっていますからね。ビクーナはユネスコやユニセフにも認定されたし、ブラックアルパカの製品化は奇跡そのものでした。現在はハウジング・プロジェクトを進めています。泥の家だった先住民の住環境を改善しようという試みです。粘り強く取り組んでいたら、政府もようやく重い腰を上げてくれました」
アロンゾがそういうと、聡はこう受けた。たったひとつの雫でも、いつかは海になるんです、と。
さらにつづけて清史がいった。
「ブラックアルパカはロベルトいう男が丹念に高地を歩いてみつけてきてくれたものですが、日本を代表するデパートメントストアでお披露目すると知って彼はとても喜んでくれた。このことは代々伝えていきたいと、それは嬉しそうに笑っていました」
Text:Takegawa Kei
Photo:Okada Natsuko
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ザ・イノウエブラザーズ
2004年にアートスタジオ<ザ・イノウエブラザーズ>を設立。兄・井上 聡は1978年、弟・清史は1980年生まれ。ともにデンマーク・コペンハーゲン出身。
<ザ・イノウエブラザーズ>の特徴である、日本の繊細さと北欧のシンプルさへの愛情を基本に生まれたデザインを、彼らは"スカンジナビアンデザイン"と呼ぶ。聡はコペンハーゲンを拠点にグラフィックデザイナーとして、清史はロンドンを拠点にヘアデザイナーとしても活躍。そこで得た収入のほとんどを「ザ・イノウエブラザーズ」の活動に費やす。
アロンゾ・ブルゴス
「パコマルカ・アルパカ研究所」創設者。アンデス地方の民族文化を保護し、再生するサステイナブルな環境をつくる第一人者として、最新の科学技術と獣医療をもとに純血度の高いアルパカ育成の活動を30年以上に渡って牽引。飼育農家に毛刈り技術や繊維分別手順のシステムなどの指導を行い、地域経済の安定にも貢献。
<ザ・イノウエブラザーズ>とは2011年に、アンデス山脈地帯でアルパカ繊維の品質向上のために設立した同研究所と協力関係を締結。
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