【20周年特別企画】 メンズ館誕生から20年の軌跡をたどる
みんな同じ目標に向かって走り抜けたオープン前夜
現存の枠にとらわれない新たなメンズ館の構築
神山:わたしは02年にニューヨーク出向から帰国しました。当時は紳士服業界は厳しい状況にあって、みないかにお買い上げいただくか必死に考えていました。その中でも忘れられないエピソードは、先輩がエスカレーターを上りきったところで担当フロアへ立ち寄っていただくためにお声がけをしていたのですが、下りのエスカレーターでもそれをやっていました。帰るお客さまに向かってもお声がけをしていることに驚きました。
――メンズ館のプロジェクトが始動したのはまさにそんなタイミングでした。掲げたのは、“世界NO.1のメンズファッションストア”。あまりにも壮大で、つかみどころのないテーマです。
神山:正直なところ、マーチャンダイジングの考え方からして初めはイメージがわきませんでした。ヤング、アダルト、シニア。そういう従来の百貨店の紳士服売場の枠組みをなくし、新たにテイスト別のフロアにしました。
二村:怯んでいる暇はなかった。いや、むしろ奮い立ったといったほうがいいかも知れないです。ひとつの目標ができて、わたしたちの意識は明らかに変わりました。婦人服に負けるな、前年に負けるな――。やるしかない、と情熱を持って進んでいましたね。
鏡:わたしは(男の)新館最後の年に入社しました。リモデルの説明会に出席したわたしは上司からきかれました。「(このプロジェクトのゴールが)わかるか」と。まるでわからなかったので「わかりません」と正直に答えました。上司は続けて尋ねました。「君はどこで買い物をするんだ」。「バーニーズ(ニューヨーク)です」と答えると、「我々がかたちにしようとしているのはバーニーズのような君が行きたくなる店だ」。そのひと言で、わたしの視界はクリアになりました。
鏡:当時は紳士担当の社員が代わる代わるエレベーターのご案内もやりました。リモデルでエスカレーターを架け替えていたためです。エレベーターに乗り続けると酔うことを知ったのもこのときでした。
――立ち上げまでの取り組みを教えてください。
二村:紳士服の売上が落ち続け危機感を感じるところからのスタートでした。お客さまの声を聞き、そのご要望を具現化し、欲している品揃えやサービスを徹底しました。そこから「日本の男性を格好良くしたい」「世界NO.1のメンズ館を作りたい」が合言葉になりました。
神山:といっても最後の最後まで気が抜けませんでしたよ。リモデル後、わたしが配属されたのはメンズバッグ&ラゲッジでしたが、そのころの一般的なメンズバッグはワイシャツやネクタイ売り場などの次にお買い上げが決まるようなショップでした。陳列で参考にできるお店は少なくラインナップが決まっても試行錯誤が続いていました。
前評判の高かった紳士靴とは対照的なショップとしてプレッシャーがかかりました。我々はオープン前夜、ぎりぎりまで時間をかけて売り場をつくりました。正直、達成感よりも不安の方が大きかった。ところが上司はいうんです。「いいじゃないか」と。上司だって本音のところでは代わり映えしないなぁと思っていたはずです。しかし労ってくれた。そうやってチームの心をまとめていったんですね。
二村:商品・環境・サービス。これが三位一体となって世界最高レベルを実感する。あの頃のわたしたちは同じ目標に向かって突っ走っていましたね。
鏡:価値観は間違いなく共有できていました。
ふたつのターニングポイント
――夜明け前に惜しみなく汗をかいたことで旧来の百貨店紳士服売場から“メンズ館“にうまれ変わりました。その道程において見逃せないのは男のこだわりを具現化するクラシカルなアイテムを選び抜き、取り揃え、最先端のファッションを表現するデザイナー、クリエイターの世界観を構築したことにあると思います。
鏡:もちろん凪の航海だったわけではありません。わたしのなかで思い出深いターニングポイントはふたつ、あります。ひとつは08年のリーマン・ショック。売り場を見た上司は叱咤しました。「安価なモノばかり並べるんじゃない」と。知らぬうちに世の中に流され、守りの姿勢に入っていたんですね。ふんどしを締め直した瞬間でした。
もうひとつが14年のリモデル。スーツがダウントレンドになって、果たして百貨店に必要なのかと議論になりました。そこに待ったをかけたのが当時の上司。彼は徹底的に数字を分析し、光明を見出しました。それがオーダー部門でした。そうして誕生したのがメイド トゥ メジャーです。それまでのオーダーゾーンはフロアの奥のエリアと相場が決まっていましたが、エスカレーターを上がってすぐのもっともいい場所を確保しました。
ブレそうになった軸を都度セッティングし直したことで、クラシックは太い幹に育ちました。
時代を超えて愛されるクラシックと最小単位の品揃え
鏡:今日お持ちした<エドワード グリーン>のエバードンは03年に購入しました。本格靴は一生物といわれるが、ほんとうにそうなのか。これを証明する一足です。さすがにライニングはへたっていたのでリペアに出しましたが、底まわりはヒールとつま先を交換しただけ。いまだオールソールはしていません。
一生物というのは耐久性のみをいっているのではありません。ご覧のように、履き込めば履き込んだだけアッパーは色つやを増します。
そして、普遍性。(このモデルに採用された)888ラストはスクエア・トゥを特徴としますが、黄金比といっていい美しさがある。時代を超えて愛されるクラシック――。これを点ではなく面で展開してきたのがメンズ館なのです。
二村:「メンズ館ならきっとある」品揃えをどこまで実現できるか、当時の上司から学んだのは「担当内で売上が最小単位のアイテムまでこだわる」ことでした。一方で「メンズ館にあったらいいな」、という品揃えを追求することも大切。オープン後も「カッコいい」「面白い」「驚き」といったテストマーケティングをして、お客さまから「さすが伊勢丹!」とお声をいただくことが嬉しかったです。
そんな中でお客さまの声を聞き、サスペンダーはかつて、あまり需要がない商品でした。男の装いは細部にこだわってこそ、と考えるわたしはその品揃えを充実させました。色柄も豊富に揃えて臨んだところ、売り上げは何倍にも膨らみました。お客さまはきちんと見ていらっしゃたんです。
<イセタンメンズ>のレザーグッズでもあるべきものをかたちにしました。わたしがつくったのは、コードバンを使ったメモカバーと万年筆ケース。数百円のノートのカバーが確か2万円前後で販売した記憶がありますが…。
二村:こだわった男性のお客さまが靴や財布やベルトだけでなく、ビジネスシーンでもステーショナリーにこだわりたいという声を受けて実現したもので、約20年前の商品ですが今でも輝きを保っています。あと10年したら子どもに渡して使ってもらいたいですね。
――メンズ館といえば半歩先をいく提案にも唸らされてきました。
神山:手前味噌ながら、09年に<サイドスロープ>とつくったオーガニックコットンのカーディガンはそのケースに当てはまるでしょう。
前年の08年は京都議定書により温室効果ガス排出抑制の取り組みがスタートした年。とはいえ、エコが購買動機になる時代ではありません。なかなか結果には結びつきませんでしたが、グリーンマーク(世界観を視覚に訴えるべく、その別注ではレッドだったロゴの刺繍をグリーンに変更した)は時代を経てインラインのカテゴリーのひとつとして定着しました。
――上司はかつて、鏡さんが通いたくなるような店をつくるといったわけですが、夢は叶いましたか?
鏡:はい。ワードローブのほとんどはメンズ館でつくられています。
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Text:Kei Takegawa
Photographer:Tatsuya Ozawa(Studio Mug)
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