Vol.17 大杉隼平| 震災を通じて感じ、学んだ。人の温もりと写真の力(1/2)
被写体を選ばないからこそ見えてくる、写真家にとって重要なこと
――カメラに触れるきっかけになったのは、高校卒業後のタイ&ベトナム旅行。
「それまではサッカーしかやってこなかったのでカメラは素人でした。マニュアルカメラを持っていたので、カメラをやっている先輩方に教えてもらったのが最初ですね。現地で撮ったんですけど、ちゃんと写っていない写真や露出があっていないものばかりでしたが、それを暗室でプリントをしている時に、不思議と撮った当時の空気や音みたいなもの全てが蘇ってくるような感覚になって。そこからより写真が好きになりました。あと旅先で言葉が通じなくても、コミュニケーションの一つとしてカメラがあることでこんなにも世界が広がるんだっていうことを実感したことも大きかったですね」
――その後、イギリスに留学をして写真を学んだ。ただ帰国後は写真家として食べていくのに苦労をし、一時は辞めようと考えたこともあったという。でも東日本大震災を機に、その考えも消えた。
「NPOで支援活動をしていたので救援物資を届けに行っていたんです。その時に原発から20キロ圏内の景色の写真を撮って、その写真を通じて多くの出会いがありました。写真って誰かを喜ばすことができるものなんだなって思った時に、改めてすごく大切だなと思い、やりがいを感じました。被災地で住民の人たちに会った時に、メディアに言葉を出しても一部しか使われないっていうことを聞いたので、それならばその人たちの言葉を伝えるために、僕はどういう写真を撮ればいいんだろう、どんな写真なら伝わるのかって、もっと考えなくちゃいけないと思ったのと同時にすごく学ばせていただきました」
――俳優の大杉漣さんを父に持つ隼平さんなら、役者という選択肢もあったはずだが。
「確かにそういうお話もありました。でも、俳優というお仕事は父が切り開いたもので、そこに僕が乗っかってやるというのはちょっと違うと思ったんです。軽い気持ちで始めて成り立つような甘い世界では無いことは父を見てわかっていましたし。あと昔思ったのが、父の周りにいる人たちって、やっぱりある意味変わっていて。例えば夜、僕が寝る時に父と仲間はお酒を飲んでいて、朝起きたらまだ同じ場所で飲んでるっていうことが結構あって(笑)。「面白いなこの人たち」っていう感覚はありました」
――ファッションや風景、料理など、最近のフォトグラファーはある特定のジャンルを専門に撮る人が多い中、大杉さんの被写体は幅広い。
「僕の場合、あまりこだわりは無いです。ただ、どこかに人が過ごした時間だったり、人がいたのではないかなっていうものが感じられたらいいなって思います。例えば今ホテルの『パーク ハイアット 京都』のお仕事をさせていただいていて、建物全体はもちろん、そこで使われている一つ一つは、職人さんの手が介在していますからね。あと被写体を限定するより色んなものを撮ることで、そこから学ぶことがすごくたくさんあるんですよね。最終的に写真家として大事なものが全て繋がっているような気がして。そう考えると色々と撮る方が学びはある気がします」
――そんな大杉さんが、撮りたくなる瞬間とは?
「撮った写真を見た時に振り返ることはあっても、撮っている時って実はあまり色んなことを考えてなく、無心だと思います。モデルさんを使ったりとか、作り上げる作業であれば色々考えますが、僕は街で写真を撮る事が多いのですが、街で出会うものや人って、作り上げるものでなく自然なものなので、その人がどう存在するかということが大事ですね。強いて言えば、見た瞬間に、例えばその人が横を向いている姿を見て何を感じられるのかを考えたり、自分の記憶の中にあるものを追いかけていることもあるので、どちらかと言うと撮る前よりも後の方が気持ちが出ますね。撮った写真を見せた時に会話が生まれるんです。「どこからきたの」とか「よかったら送るよ」とか。その、行きあたりばったりな出会いが楽しいんですよね」
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