【インタビュー】ピエール・コルテ|世界でもっとも美しいスニーカーの誕生
ピエール・コルテがスニーカーをリリースしたのは2017年12月のことだった。
「アトリエを代表するコルテ-アルカをモチーフに、2アイレットのレースステイを採り入れました。5分割したレースステイも見どころです。セパレートさせることで起伏に富んだ甲にも寸分の狂いなくフィットさせることが可能になりました。モデル名は創業した年から"’90"としました」
今シーズンは’90に厚底バージョンが登場、さらにパイソン、パテントレザー、シルバー、グリッターレザーといったさまざまなマテリアルを一足に同居させた"フェーン"、ブローグの意匠をラバーソールにミックスさせた"エスカル"もあらたに加わった充実のラインナップ。とても片手間でできるようなコレクションではない。
「わたしのメゾンに来られるお客さまが他ブランドのスニーカーを履いている。なんて由々しき事態なんだと一念発起したわけです(笑)」
そもそもピエールは革底の靴に負けず劣らずスニーカーが好きだった。マスターピースと呼ばれるものはそのほとんどを履いてきた。スタンスミスにいたっては現役選手が何足もあるという。
「現代のライフスタイルにおいてスニーカーは欠かせません。そしてわたしは靴と名のつくありとあらゆるものを自分の手でかたちにしたかった。スニーカーはいずれ取り組まなければならないアイテムだったのです。もちろん、勝算はありました。革の扱いにかけては、どんなビッグネームにも負けない自信がある」
ビスポークのそれに比べて遜色のないカーフやパイソン。これらが惜しみなくつかわれているという事実以上に感じ入ったのは“、クレイジーパターンのフェーンやレースステイまわりをスエードで切り替え、パティーヌを施した"エスカル"にみられるデザインの斬新さだった。スニーカー専業ブランドはもとより大手ラグジュアリーブランドのそれとも別次元にあった。
”’90”は<コルテ>をはじめ”てみたときと同等か、それ以上の感動があった。
彫刻家の叔母に導かれて
ピエールはものごころつくと叔母のベラのアトリエを遊び場にした(ちなみに両親はともに俳優で、どうやら右脳の発達した家系だったようだ)。ベラはパリの美術館にも展示された陶芸家だったが、扱う素材は石膏やマホガニーにとどまらず、テラコッタやレザーも含まれていた。
さまざまな端材で遊ぶうち、レザーに惹かれていったピエールは16歳の年に職人養成のギルド、コンパニオン・ドゥ・デュボワールに参加、靴職人の見習いとしてフランス各地のアトリエをまわって研鑽を積んだ。7年の旅を終えたピエールは<ジョン ロブ>を経て<ベルルッティ>のビスポーク部門のチーフとして籍をおいた。
その後の活躍はご存じのとおりだろう。90年にアトリエを構えると早々に頭角を現し、あれよあれよという間に100年の歴史を誇るメゾンと同列に並べられる存在に。2003年には念願の自社工場を設立、プレタポルテを本格始動させてコルテの名は広く知られることになった。
繊細で円熟味を帯びた手仕事やフランス由来のアーティスティックなパティーヌももちろん外して考えることはできないけれど、勝因はなんといってもベグデーグルの創造。これに尽きる。サイドウォールを立てたフラットな甲がつま先に向かってすぼまるように集約されていくさまは、流麗を極めていた。
「<コルテ>のラスト”セーブル”は、日本ではベグデーグルと呼ばれているようですが、厳密には異なります。ベグデーグルはもともとイギリスのビスポークの世界で誕生したラストであり、わたしが削ったトウシェイプはそれに比べればなだらかです。そのラストは、アルメニアのお客さまのために削ったラストが原型になっています。アルメニア人といえば高くて大きな鷲鼻が特徴。お客さまも立派な鼻をお持ちでした。従来のベグデーグルでは、どうしても鼻とのバランスがとれなかった。3回目でようやく完成させたのがこのトゥシェイプなのです」
そうしてピエールは2008年、日本の人間国宝に相当するメートル・ダールを授与された。
文字どおりの類まれな美意識は、かれの人生にずっと寄り添ってきた趣味(というにはいささか本格的だが)を紐解けばおのずと明らかになる。
靴職人の道を選んだものの、叔母から薫陶を受けた彫刻への興味が薄れることはなかった。ヘンリー・ムーアやミニマルアートの先駆者、プランクーシに魅了されたが、それはいまも変わらない。数年前には靴をモチーフとしたアート展を開催して話題になった。
長じて音楽の世界にも興味の対象は広がった。好きが高じて自宅にスタジオを構えてしまったというから尋常ではない。いまではなんでも聴くようになったというピエールだが、もともとは北欧ジャズの新風といわれたニルス・ベッター・モルヴェルや西海岸のクール・ジャズを代表するチェット・ベイカーを好んだ。
その嗜好に通じるのは伝統への敬意とそぎ落とされた美だ。なるほどそれはスニーカーからもたっぷりと感じられた。
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