2019.09.23 update

高級時計産業の聖地を巡る旅──現在も変化を続けるスイス高級時計産業のショールーム

発端は17世紀に遡る。当時フランス産業の中核を占めていたユグノーたちが国を追われ、スイスの山間部に逃れたことが、スイス時計産業の発端と言われている。同じくフランスと国境を接するジュネーブにもユグノーたちは根を下ろし、時計の所有を奨励したジャン・カルヴァンの統治下で大きく羽ばたくことになった。以降ジュネーブは、生産の拠点であった山間部とは異なり、スイス高級時計産業のショールームとして名を馳せてゆくことになる。


伝統と最先端技術が息づくジュネーブ最古のメゾン


1755年に創業した<ヴァシュロン・コンスタンタン>は、ジュネーブの地で2世紀半を超える歴史を重ねてきた現存する最古のメゾン。現在はジュネーブ市内に本店を構えつつも、本社機能と生産設備の大半を、近隣の工業エリアであるプラン・レ・ワットに移している。

多くのメゾンがひしめくジュネーブ屈指の一大工業地域にあって、一層の威容を誇る本社工房に加え、バックボーンを支えるジュウ渓谷の工房もレポートする。


ジュネーブを代表するムーブメントマニュファクチュールのひとつとして知られる<ヴァシュロン・コンスタンタン>。ジュネーブ各地に点在していた工房を一カ所に集めるべく、スイス人建築家ベルナール・チュミの手による近代的な本社工房が、ジュネーブ郊外の工業地域プラン・レ・ワットに落成したのは2004年のことであった。15年には同じくチュミの設計による2号棟も落成し、さまざまなメーカーのヘッドクォーターがひしめき合うプラン・レ・ワットの地に、一層の威容を誇らせている。他方1998年から<ヴァシュロン・コンスタンタン>のエボーシュ製造を担ってきたVCVJ(ジュウ渓谷のル・サンティエにあったHDGが母体)も、2013年10月にル・ブラッシュの新社屋に移転。プロダクトファミリーを基準とした〝リ・マニュファクチュール〞が完成を迎えている。
 


多くのブランドがヘッドオフィス兼工房を構えるジュネーブ屈指の工業地帯にあって、他を圧する威容を誇る<ヴァシュロン・コンスタンタン>の本社工房。右の1号棟は2004年、左の2号棟は2015年に落成。



本社工房内で最大の規模を誇るアトリエ・モンタージュ(ムーブメントの組み立て部門)。写真は手巻のCal.1400で、組み立て調整に当たっている。


ジュネーブ市の南西側に位置するプラン・レ・ワットは、遠くアルプスを遠望できる平原地帯となっている。<ヴァシュロン・コンスタンタン>の本社からも、まだ雪を被った近隣の山々を見渡せた(取材は3月)。

ジュネーブスタイルの高級時計製造は、17世紀に始まる〝ラ・ファブリック〞に源流を求められるが、厳格な階層社会の中で〝格下〞と見なされたエボーシュ製造業は、ジュネーブ市内では下火となり、ジュウ渓谷などの山間部で独自の発展を遂げたエボーシュ製造業者が、その任を担うようになる。この地は後に〝複雑時計の揺りかご〞と称されるようになるが、ジュネーブの時計産業が隆盛を極める19世紀末までに、〝ジュウ渓谷のエボーシュをジュネーブで組み上げる〞というスタイルが確立されてゆくことになる。現在の<ヴァシュロン・コンスタンタン>が擁する本社工房とVCVJの棲み分けも、この伝統的なセオリーに則ったものだ。


空調管理と調光管理は、現代的なウォッチファクトリーにおける最重要課題。アトリエ・モンタージュは現在2号棟に置かれているが、その屋根には“井戸”と呼ばれる自然光の採光設備がある。LED照明を併用するのは、ユーザーが時計を見る場合と同様の条件を整えるため。

1号棟、2号棟を合わせて、広大な敷地面積を誇る本社工房は、エントランスを除くほとんどすべてがマニュファクチュールに充てられている。中庭を取り囲むように配置された各製造部門は、天井も高く、採光も素晴らしい。<ヴァシュロン・コンスタンタン>の本社工房を訪れてまず圧倒されるのは、大規模なアトリエ・モンタージュ(組み立て部門)だろう。ここでは香箱からガンギ車までを組み立て、アガキ調整や香箱の回り方を入念にチェックする。生産の主力は手巻のキャリバー1400/4400と自動巻のキャリバー2400系(以降、この3機種をまとめてベーシックキャリバーと呼ぶ)だが、薄型のキャリバー1003や1120では、香箱のトルクチェックもここで行われる。ガンギ車までの輪列が組み上がったムーブメントは、隣のアトリエ・レギュラージュ(調整部門)に回される。ここではアンクルと調速機を組み付け、5姿勢による歩度調整が行われる。ベーシックキャリバーのテンプ一式はVCVJで組み立てられ、スタティックチェックまで済ませた状態で運ばれるが、キャリバー1003だけは、ここでヒゲゼンマイの組み付けから行う。個々のテンワの重さに合わせて、ヒゲゼンマイをカットしてから組み付けるのだ。ヒゲを載せた後に再び片重りを調整するが、片重りを故意に残すことで姿勢差をとることもあると言う。なお、ほとんど知られていないことだが、キャリバー1003と1120のエクストラフラット系、グランドコンプリケーションのムーブメントはすべて、一時組み立ての後に再調整を加えて組み直す、〝2度組み〞が通例となっている。





フィフティーシックス・トゥールビヨン 時価
K18PGケース:直径41mm/トゥールビヨン/約80時間パワーリザーブ/3気圧防水/自動巻/ブティック限定

デイリーラグジュアリーをコンセプトに掲げた「フィフティーシックス」のフラッグシップにあたる自動巻トゥールビヨン。巻き上げにはペリフェラルローター(=外周式ローター)を採用し、バランスの良いケースプロポーションを保ったまま、複雑機構を収めている。装着感も申し分なしだ。

話がやや前後するが、これらの前段階として、VCVJでのエボーシュ製造や仕上げ、プレアッセンブリーなどの工程がある。VCVJの内容は、エボーシュ・デパートメント(CNCによる切削加工が主体)と、テルミネーション・デパートメント(仕上げ部門)に大別され、それぞれ地板/受け/スティールパーツに作業工程を分けたラインが稼動している。


2014年から本格稼働を始めたアトリエ・トゥールビヨンで組み上げられるCal.2160。クロノグラフ系の組み立ては、アトリエ・クロノ・コンプリケーションと呼ばれる別部門が担当し、さらにその上位にアトリエ・グランドコンプリケーションが置かれる。なお製造工程上でのグランドコンプリケーションの定義は、モジュールの地板が2枚以上、もしくはすべて一体の複雑時計とされている。

サンドブラスト処理やセラミックペレットを用いた攪拌処理などは一切行わない。これは同社がムーブメント製造に特化したマニュファクチュールであるためで、平面加工には、工作精度の面で3軸が有利だからだ。両面の加工が終わったら、ジグに固定するアタッチメントを落としつつ、外周に段付きカットを加える。側面加工とネジ切りを終えたら、仕上げ部門でペルラージュを打つ。すでにバリ取りは入念に行われているが、切削のカッターマークが残るため、これを均すことがペルラージュの主眼だ。


自動巻トゥールビヨンであるCal.2460の“薄型化”を支えるペリフェラルローター。外周部分にローターを置くことで厚みを抑えている。Cal.2460に使われるのは、信頼性の高い“マジッククリック式”。



デイリーラグジュアリーを掲げるフィフティーシックス・コレクションの中で、現状唯一の“グランドコンプリケーション”である自動巻トゥールビヨン。ムーブメントはCal.2460を搭載する。

〝受けライン〞の工程は、ほぼ地板と同様だが、複雑な〝入り角〞を持つ形状がほとんどのため、外周カットは放電加工で行われる。受けのエボーシュ製造で特筆すべきは、エングレービングであろう。同社では〝インパクトが見えて美しくない〞との理由で、レーザーエッチングを用いず、極小のエンドミルを使ってすべてフライス加工する。大理石を用いた工具台の重量は約4トン。約10万rpmで高速回転(歯科医が用いるタービンとほぼ同速度)するスピンドル部分はドライカーボン製だ。工程設計次第では、1個あたり数10秒で終えられる作業だが、<ヴァシュロン・コンスタンタン>ではこれに数10分をかける。仕上がりを最優先とした、こうした加工条件の厳密な設定こそ、高級時計たる所以のひとつであろう。

エボーシュが仕上がると、まずは側面にファイル(ヤスリ)を用いたサテナージュを施しながら、ウッドプレート(チップを固めたもので、柘植よりもやや固い)を使ってアングラージュを入れる。エングレーブ部分は金メッキを施した後にマスキングし、コート・ド・ジュネーブを施してから、全体をロジウムコーティングで仕上げる。加工条件と言えば、同社はエボーシュの仕上がり測定も厳密だ。例えば下穴の位置や径などは、光学測定することが一般的だが、同社ではこれに接点センサーを組み合わせた測定器を共同開発し、下穴の深さなども同時に測定する。接点センサーの測定精度は、求められる加工精度の約100倍だ。


フィフティーシックス・コンプリートカレンダー 2,370,000円(+税)
SSケース:直径40mm/コンプリートカレンダー/ムーンフェイズ/3気圧防水/自動巻

今年、スティールケースの「フィフティーシックス」に加えられたブルーダイヤル。PVDコーティングで仕上げられる「フィフティーシックス」用のダイヤルカラーは“ペトロールブルー”と呼ばれ、ややトーンを抑えた色調に仕上げられる。ポインターデイトと小窓式の曜日/月表示は、実用性も極めて高い。

スティールパーツの熱処理は、まずガスヒーターを使用する。約800℃で焼き入れされた鉄は、約900 Hvまで硬さが上がる。このままではガラスのように脆いため、約300℃で3時間ほどかけて焼き戻すことで、適度な弾性を戻してやる。設計によって異なるが、最終的には約500〜650 Hvになるように調整するのだ。
なお<ヴァシュロン・コンスタンタン>では、プレス加工を一切行わないため、残留応力を抜くための、いわゆる〝焼き鈍し〞は行わない。カットされたスティールパーツは、表側にドレサージュ(直線的なサテン加工)を3段階、裏側にブルイヤージュ(8の字を描くようなサテン加工)が施される。これらもすべて手作業だ。


時計のスタイリンやコンセプトを決定するデザイン部門も、プラン・レ・ワットの本社内にオフィスを構えている。なお複雑系ムーブメントのCAD設計は、本社の開発部門とVCVJで半々に受け持つ。


「フィフティーシックス・コンプリートカレンダー」が搭載するCal.2460 QCL/1。こうしたプチコンプリケーション用のモジュールも、個別に調整しながら組み上げるため、“2度組み”が基本となる。

再びプラン・レ・ワットの本社工房に話を戻そう。こちらのハイライトは、やはり複雑時計の組み立てだろう。ここには難易度に応じた3種類の複雑時計工房がある。このクラス以上のムーブメントでは〝分業〞は行われず、1個のムーブメントに対して、ひとりの時計師が専属となる。用いられる部品も、ムーブメント1個分のブランクパーツが予めパッケージされている。

まずはアトリエ・コンプリケーション。ここでは複雑系モジュールの組み立てとベースムーブメントへの組み付けを行う。メティエ・ダールのケーシングもここの担当だ。
14年から本格稼働を始めたアトリエ・トゥールビヨンは、付加機構を持たないトゥールビヨンムーブメントの組み立て/調整を専任する部門。これらの上位に位置するアトリエ・グランドコンプリケーションが、 <ヴァシュロン・コンスタンタン>の工房の最高峰として君臨する。

<ヴァシュロン・コンスタンタン>のウォッチメイキングを俯瞰してみると、特別なことは何ひとつないと気付く。ただ〝ジュネーブ流の高級時計作り〞の伝統を墨守し、今もただひたすら、技術を磨き続けているのだ。

Photo:Yu Mitamura, Vacheron Constantin
Text:Hiroyuki Suzuki

*価格はすべて税別です。2019年10月1日(火)より消費税率が変更されます。
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