【インタビュー】ハジメ・バーンバウム|世界中に笑顔を贈る「One for One」という<TOMS/トムス>のビジネスモデル(1/2)
テキサスでプロテニスプレイヤーを目指しながらも怪我により夢への道を閉ざされたブレイクは、学内の寮で洗濯請負業を立ち上げたことから起業家への道を歩み出す。その後、CBSの人気番組「Amazing Race」に参加しアルゼンチンに魅入られた彼が、その地で出会ったのがアルパルガータと呼ばれる民族靴だ。エスパドリーユとも呼ばれるこの靴に、ブレイクは「社会問題をビジネスの力で解決する」という理想を実現する可能性を見出した。
「途上国への支援体制は、水や食料などのライフラインは比較的整っていることが多いのですが、靴については行き届いていませんでした。足に傷を負った子供たちの多くが不衛生な環境から、傷口が化膿したり、ひどいときには切断するなど重篤な事態に陥っていたのです。中古の靴を寄付することも考えられましたが不具合もあります。サイズのあわない靴を無理に履くことで、かえって歩きづらかったり、靴擦れしたりしてしまう。そのためブレイクは、子供たちの足のサイズを計測してサイズの合う靴を提供するというプロジェクトとしてTOMSを立ち上げたんです」。
ハジメ・バーンバウム(Hajime Birnbaum)が、そんなTOMSのことを知ったのは2006年、UCLAの学生時代。就職課で知ったTOMSのプロジェクトにはすぐさま共感したという。幼いころからスニーカーが好きで、同時にSocial Justice(社会正義)に興味をもっていたこともあり、靴で社会に貢献するというTOMSの理念に感銘を受けたのだ。インターンシップ生としてヴェニスビーチにほど近いTOMSのオフィスに出入りするようになった頃、ハジメはまだ22歳。ブレイクは29歳だった。オフィスとは名ばかりのアパートの一室で、同世代の若者たちがドミトリーのように集い、TOMSの事業に未来を見ていた。
TOMS アジア地区統括マネージャー
「当時はブレイク以外、誰も靴の製造に関する技術や知識のある人はいなかったけど、世界中の裸足の子どもたちに靴を届けたいという思いだけは誰もが強く思っていました。靴はアルゼンチンで生産していて、毎週のように大きなパッケージがオフィスに届くんです。それを皆でオフィスで仕分けて、メルローズのFred SegalやAmerican Rag Cieに納品にいく。もちろん自分たちでクルマを運転してね」
企業というよりボランティアサークルのような形式で始まったプロジェクトは、初年度から大きく結果を残している。Webサイトと数店舗の卸先だけで、設立1年目に1万足を売り上げると、アルゼンチンで同数の靴を贈ることができた。2年目には5万足。南アフリカにも靴を贈ることができた。
「実際に自分たちで途上国に行き、ギフト用の靴をトラックに積んで街中を走り回り、裸足の子どもを見つけると呼びかけて1足ずつプレゼントしていたんです。靴を貰った子どもたちの笑顔に会うためです。しかし、これを2年やって気づいたのは、とても効率的ではないということでした。そこでギビングチームというセクションを作り、途上国の支援団体と協力することで靴をプレゼントするというシステムへ移行します。いまでは世界70カ国以上の国々にギビングパートナーと呼ぶ支援団体があり、協力体制をとりながらプロジェクトを推進しているんです」。
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