【インタビュー】<TIE YOUR TIE/タイユアタイ>レオナルド・タッツァーリ|イタリアとインドが交錯した色。(1/2)
タイユアタイといえばオーナーのフランコ・ミヌッチ、店を取り仕切るシモーネ・リーギが有名だが、実はもうひとり、レオナルド・タッツァーリというキープレイヤーがいた。フランコが右腕とみとめた才もさることながら、かれはタイユアタイをより強固な組織とするためにも欠かせない存在だった。第三の男が語る、名店のサイドストーリー。
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「タイの仕事に就くことが決まって、姉がタイの歴史を書いた本をプレゼントしてくれた。その本でセッテピエゲを知った。折りたたまれた大剣を広げたサマをむかしはコブラといったそうだ。コブラといえば放浪したインドではおなじみの生き物だった。なにか導かれているような感じがしたんだ」
セッテピエゲ。従来の倍の生地をつかった、芯地のない構造をもつタイは胸元で風をはらみ、ふわりと揺れる。のちにタイユアタイのアイコンとなる、古き良きタイにスポットを当てたのがレオナルド・タッツァーリだった。
そんな大立者も、現在のポジションをたぐりよせるまでは紆余曲折だった。
18歳になったレオナルドは、それこそありとあらゆる仕事に就いた。衣料品店やスポーツ用品店はいわずもがな、カフェや自動車販売店も経験した。いわゆる「自分探しの旅(笑)」でかれが足を向けたのがインドだった。この放浪が、レオナルドの人生を決定づける。
「とにかくすべてが強烈だった。とりわけ色には感銘を受けた。マットなんだけれど、力強い。インドと比較するならば、イタリアのそれは瑞々しい。半年と決めて渡って、いったんは戻ったんだけれど、抗えないものを感じてそれからまた1年以上暮らしました」
どうにかこうにか生還したレオナルドは、身体に染み込ませた色彩感覚を生かすべくマニフェクタ・クラバッタの門を叩いた。マニフェクタ・クラバッタは著名な4人の業界人があらたに立ち上げたばかりのタイ・メーカーだった。メキメキと頭角をあらわすレオナルドのもとに現れたのが、フランコ・ミヌッチ。
「そのころのタイユアタイはホリデー&ブラウンをメインにタイのコーナーを構成していた。フランコは英国色を強めるホリデー&ブラウンに変わるタイを探していた。ならばと、オリジナルをつくることにしたんです。96年のことでした」
足がかりができたレオナルドは翌97年、グレイタイという会社を興した。これが評判を呼び、名だたるブランドのOEM生産が矢継ぎ早に決まる。気づけばタイユアタイの仕事がおそろかになっていた。そうして2005年に設立したのがタイユアタイSRLだった。グループ会社としてタイユアタイに専念することに決めたのだ。
その理由を、レオナルドはこのようにいう。
「フランコほどエレガンスを熟知した男はいませんから。かれが教えてくれたエレガンスとはなにか。多くを語らない、ということです」
もちろん、フランコにとってもこれ以上ないパートナーだった。
レオナルドは色彩に関する両極を体感した。タイユアタイがたどり着いたアンニュイなトーンは、イタリアとインドが交錯した地点にのみ存在するものなのだ。そこにフランコという芯が一本入ることで、タイユアタイは比類なきエレガンスを具現した。
後篇へつづく
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