【インタビュー】<SUN/kakke / サンカッケー> デザイナー 尾崎雄飛|めちゃくちゃに生きてきた自分の人生すべてがクリエーションの源になる(1/2)
ファッションオタクから脱却した日
カジュアルって、絶対的にトラッドとかクラシックがベースになっていると思うんです。それは服も靴も同じこと。だから僕の服はデザイナーズというよりも、やっぱりどこかクラシックのニオイがすると思います。実際に自分が買う服も、イタリアンクラシコだとか、ブリティッシュテーラードの雰囲気のものが多いし。でも<コンバース>も穿くし、<ジョンロブ>も穿く。スーツは<ベルべスト>をオーダーするし、古着も着る。基本、雑食なんです。
19歳で渡英したのはテーラードを学びたかったから。でも学校に行くわけでも、老舗のテーラーに丁稚に入ることもなく、ひたすら古着屋で買ってきた服をアパートでバラして、こんな風に作ってるのかって、ひとり悦に入るという。完全にオタクでしょ(笑)。帰国して某大手のセレクトショップにバイトで入りました。地元、名古屋のショップで店頭に立っていたんですが、すぐに東京に呼ばれまして。「ロンドンにいたんだって? パリの道わかる?」って聞かれて、「ハイ」って答えたら、即バイヤー。大勢に受けなくても、必ず着たいと思える人がいるブランドを買い付けることに夢中になっていましたね。それがいつの頃からか、ショップの方針が変わってきて。反骨というか、もう僕は必要ないかなと思って辞めたんです。
そのときは、もうファッションの世界には戻らないつもりでした。手持ちの服もネットオークションでほとんど売ってしまって。そこそこいいお金になったので、このままオークションで食いつなごうかな(笑)と思っていたところに、知り合いから誘われて広告代理店に入社しました。そこで1年ぐらいサラリーマンをしたことは、自分が社会人として成長するきっかけになったように思います。世の中のお金の流れとか、社会の仕組みもそこで教わったし、それまでの自分は子供だったなって感じたし。古着のバイヤーを経験したのち、<フィルメランジェ>の立ち上げに関わり、<サンカッケー>を始めるまでには、ショップのプロデュースや、先輩のブランドを立ち上げるお手伝いもしました。ファッションだけだけど、なんでもやってきたんです。だからファッションの可能性は十分に理解しているつもり。ホント、あのとき辞めなくてよかった。
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