2015.12.04 update

【インタビュー】アレックス・クック |<HENRY POOLE/ヘンリープール>、老舗の漸進

まさに満を持して、という形容がぴったりの2日間だった。再上陸を果たしたサヴィル・ロウ最古のテーラー、ヘンリー プールのトランクショーを訪れるカスタマーは途切れることがなかった。にもかかわらず、すべてのカスタマーを見送り、インタビューの席に現れたシニアカッターのアレックス・クックはいささかも疲れたそぶりをみせず、ジェントルマンな立ち居振る舞いを終始まもった。


「ヘンリー プールのモノづくりは1806年の創業以来、変わっていません。地下の縫製のフロアでは職人が古く、重いアイロンを駆使してあの構築的なシルエットを生み出しています」

呉服商だったジェームス・プールがブランズウィックスクエアにかまえた店は息子のヘンリーの代に華開く。ヨーロッパのほとんどの国王のスーツを仕立て、ナポレオン三世にはじまるロイヤルワラントは40を数えた。輝かしいエピソードは枚挙にいとまがない。タキシードがディナージャケットとしてみとめられるきっかけをつくったのもヘンリー プールなら、宮中服の一切を任されてきたのもヘンリー プールである。

七代目、サイモン・カンディ率いるサロンでシニアカッターの重責を担うアレックス・クックは、並の人間ならば深刻な肩こりをひき起しそうなプレッシャーをどうやら感じなかったようだ。


「ヘンリー プールといえば甲冑のようなシルエットを思い浮かべる方が多いでしょう。当テーラーの顔であるのは間違いありませんが、15年ほど前からレス・コンストラクションなスーツも手がけております。かつてライトウェイトといえば12オンスでしたが、いまや8オンスが主流です。この生地の持ち味を生かすにはコンストラクションにもメスを入れる必要がある。反対するスタッフもいましたが、トランクショーで世界を飛び回るわれわれはマーケットの肉声を聞いていましたからね。もちろん、ナポリを真似ようというのではありません。サヴィル・ロウの名に恥じないシルエットをキープしたうえでのライトな着心地を目指しています」

このやわらかな思考が、メイド・トゥ・メジャーに結実する。

「ビスポークに通じるステップは大切です。それにはつねに感動を与えるレベルが求められます。日本が用意してくれたファクトリーは申し分がなかった。一見ビスポークと見紛うほど、シェイプもカッティングも素晴らしいものがあった。本国の職人もうかうかしていられないくらいの、ね(笑)。わたしが引いた若々しいパターンは近い将来、本店へと導くカスタマーを育ててくれると信じています」

日本のパートナーはファクトリーの選定に2年もの歳月をかけてくれています。この事実ひとつとっても従来のライセンス・ビジネスとは一線を画する、あらたな協業であることがご理解いただけるのではないでしょうかとアレックスはいう。


ヘンリー プールに魅せられて、20年


アレックスはもともと、デザイナーを志してファッションの世界に足を踏み入れた。幼いアレックスをかわいがってくれた女性はロンドンの郊外ではおそらくはじめてとなるセレクトショップのオーナーだった。長じてロンドン・カレッジ・オブ・ファッションへと進むも、卒業間近のアレックスは講師から「空きがあるからうちにこないか」と誘われる。その講師こそ、当時ヘンリー プールでシニアカッターを務めていた、のちにバイス・プレジデントにまでのぼりつめるフィリップ・パーカーだった。

「じつはすでにわたしの心はサヴィル・ロウに惹きつけられていたのです。きっかけはその街で偶然みかけたチョークストライプのブラック・スーツでした。ドレープの美しさはいまも脳裏に焼きついています。デザイナーが寝る時間がないほど忙しいのは知っており、9時5時の勤務時間も背中を押したことは正直にみとめなければなりませんね(笑)。まずはここで勉強してみてもいいかも知れないとドアをノックして20年。最初の約束と違って朝の7時から夜の6時まで働いていますが(笑)、現在のわたしは世界中の人々が憧れるテーラーの行く末を考える立場にいる。人生はとても充実しています」

Text:Takegawa Kei
Photo:Fujii Taku

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