【インタビュー】<HIDEAKI SATO>佐藤 英明|日伊のつくり手を結んだ家族愛
ランチタイムはとっくに終わっているのにおおくの客が楽しそうに食事をしている。イタリア語も飛び交うホールにオーナーのエリオ・オルサーラが現れると、がぜん華やいだ。エリオはペコラ銀座の佐藤英明をみとめて親しげな挨拶を交わした。10年以上の付き合いになるというふたりのあいだに漂う空気は、まるで家族のそれだった。
左/川野浩輝 大賀、中:エリオ・オルサーラ エリオ ロカンダ店主、右/佐藤英明 ペコラ銀座店主
お互いのモノづくりを心から尊敬しあう
エリオ ボンジョールノォ。お待たせしました。
川野 お忙しいところ、ありがとうございます。本日はいきつけの店をとおして、佐藤さんのひととなりをあぶり出そうという趣旨です。
エリオ ぼくはお世辞をいわないよ。だから悪口いっぱいになるかも(笑)。
(一同笑)。
川野 どういう経緯でお知り合いになったのですか。
佐藤 もう10年以上まえになりますが、あるパーティで出会いましてね。イタリアに暮らしていたころからの悪友も一緒でした。わたしと一緒で食べることが大好きで、試しにふたりで顔を出したらハマってしまった。以来、1ヵ月あいたら恋しくなるくらいかよっていますね。イタリアから友人が来ると、昼も夜もエリオになっちゃうことも珍しくない。
エリオ 最近はご無沙汰だけどね。
佐藤 いやちょっと忙しくて。
川野 (ふたりの掛け合いがひとしきり終わるのを待って)イタリアの著名な方々も足繁く訪れているそうですね。
佐藤 イタリア“風”ではなくて、ほんもののイタリアですからね。料理のうまさは申し分がない。エリオはじめ、スタッフにもイタリア人が多く現地にいるのかと錯覚することも。
川野 佐藤さんって、ミラノにいらしたんですよね。エリオさんは南イタリアの料理ですが、馴染みはあったんですか。
佐藤 (佐藤さんが修業した)ペコラがシチリアで奥さんがプーリアの出身なんです。しょっちゅう夕食をごちそうになっていたから、すっかり舌が親しんでいます。量も魅力ですよ。わたしはこの歳になってもヒトの3倍は食べます。しかも早い。エリオのフルコースを最短で17分でフィニッシュしたこともあります(笑)。ポーションの小さな澄ました料理ははなからだめなんです。
エリオ 気持ちのいい食べっぷりを披露するこの男をぼくは日本の兄弟と思っています。ノン、日本人とは思えない。かれとの会話で日本語をつかったことはないからね。文化も深く深く理解している。いまでは仕事からプライベートの悩みごとまでなんでも話す間柄です。かれがつくるスーツも全幅の信頼をおいているよ。だから注文をつけたことはない。すべてお任せ。
川野 ワードローブにはすでに10着以上あるとか。
エリオ イタリアでもオーダーするし、値段だけでみたら向こうのほうが安い。だけどね、佐藤さんのスーツを着た姿はじぶんでみても惚れ惚れするからね。ぼく、デブなのにね(笑)。かっこういいだけじゃなくて仕事で一日着ていても疲れない。クオリティとプライスのバランスを考えればお得な買い物です。
古き良きテーラード文化をきちんと学べた最後の世代でしょうね。
佐藤 いまのわたしがあるのはペコラがあってこそです。かれのすごさを物語るエピソードにこんなものがあります。あるとき、あるヒトからスーツづくりのなにが難しいかと問われたかれは、全部と答えた。感じ入りましたね。日本人は几帳面といわれるけれど、ペコラはその比じゃない。ディテール一つひとつに完璧を追い求め、完璧を積み上げたのがペコラのスーツです。そして、一見なんてことないスーツなのに袖をとおすと着手の個性がにじみ出るんです。
70も半ばですが、朝の7時から夜の8、9時まで働きどおし。だから夜ご飯を食べながら寝ている(笑)。この2月にお邪魔したときも仕事の話ばかりでした。365日、仕立てのことを考えています。
エリオ 女性はアクセサリーや化粧で飾ることができるけれど、男はスーツで勝負するしかない。いざというときはかならず佐藤さんのスーツです。そうそう、これは5年まえにつくってもらったジャケット。いいでしょ?
佐藤 昨日届けたスーツはどうしたんですか?
エリオ とっても素敵だったから家にもって帰って自慢したんだ。そしたら忘れてしまった。奥さんにもってきてもらうよ。(スマートフォンを取り出して)プロォントォ…。
その土地に根付く文化を育みたい
川野 そもそもエリオさんが日本に来られるきっかけは?
エリオ さる実業家に声をかけられたんです。そのころはコックとして世界中を渡り歩いていましたが、アジアは未知のエリアだった。アントニオ猪木とマジンガーゼットはぼくのヒーローでしたけどね(笑)。来日は1990年。はじめて住んだ神戸は素晴らしい街でした。上品で、みな笑顔で。暮らすうちにわかってきたのは日本人は家族を大切にする、魚を生で食べる、そして四季があるということ。これ、南イタリアと一緒ね。やっていけると思って96年に独立しました。
川野 麹町とはまた渋い場所を選ばれましたね。
エリオ このエリアには当時ファッションの会社がいっぱいあったからです。イタリア人が誇る文化といえばフードとファッションですからね。
川野 さまざまな国で暮らされてきたエリオさんですが、やっぱり落ち着くのはイタリアですか。
エリオ ぼくはね、奥さんは日本人だけど、ずっとお客さんの気持ちでいました。アメリカなら10年も住んだられっきとしたアメリカ人になれる。ところが日本はいつまでたってもゲスト・フィーリングなんです。歳をとったらイタリアへ帰るつもりでした。しかしいまは日本のおじいさんになりたい、心からそう思っています。
転機は東日本大震災でした。大枚叩いてつくったケータリングセンターがパーです。たくさんの借金を抱えました。おおくの外国人は故郷へ帰りましたが、ぼくはパンを焼いて被災地へ何度もいきました。そうしてワンバイワンで交流しているうちにわだかまりが解けていったんです。腹が据わって思ったのは、日本はなんでも食べられるけれど、すべてはトレーディングカンパニー次第ということ。なにかあったら日本の食文化はいっぺんでパーですよ。そこでぼくは北海道に工房をかまえた。イタリアから職人を呼んでチーズづくりをはじめました。
佐藤 スタッフのひとりが家庭の事情で生まれ育った北海道に帰るんですが、エリオはかれが店を出すためのサポートをずいぶんとしていました。その縁で北海道に明るくなった。エリオの感心なところはファミリービジネスという土台が揺るがないところです。従業員がイタリアで結婚式をあげると聞けば店を閉めてみなで駆けつけるし。
川野 佐藤さんもペコラさんとはそんな付き合いが続いていらっしゃる。
佐藤 やっぱり家族同然でかわいがってもらっていますね。ペコラの看板を掲げたのはかれの提案でした。店を出した当初はさっぱり客がつかなかった。親心だったんでしょう。だったらうちの名前を使えばいいじゃないかっていってくれたんです。先日のイタリア出張もベルドゥーラのパスタでたっぷりもてなしてもらいました。ヨソで食べようものならなんでうちに来ないんだって怒られた(笑)。
エリオ おお、そうだ、(厨房に向かって)チーズをもってきてくれないか。
(話題のチーズがスタッフみなに饗された。牛乳本来の旨味にみな、しばしうっとりする)。
エリオ 日本には120種の豚がいる。サラミも本場に負けないものがきっとつくれます。いま、目をつけているのは三重。神さまの国だからね。流れている気が違う。
川野 日本人よりも日本人らしい(笑)。
エリオ ゆくゆくはアグリトゥリズモ(農家民宿)をやりたいと思っています。エレガンスを追求すると、ものごとはシンプルになっていく。
川野 佐藤さんの夢はなんでしょうか。
佐藤 わたしはイタリア最高峰のテーラードを学ばせてもらった。地味ですが、この火を絶やさないことですね。といって、わざわざ教室を開こうっていうんじゃありません。背中をみてもらって、草の根的に広まっていくのが理想。マエストロの文化は、そうやって脈々と受け継がれてきたんです。それにはまだまだ研ぎ澄ましていかなければいけない。身が引き締まる思いです。
Text:Takegawa Kei
Photo:Fujii Taku
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