反抗期を知らなかった少年の自我

父のルイジ・ノォットリは工場を興すまでにさまざまな仕事をしてきた。ドイツでは有名なホテルのディレクターを務めたこともあるという。モンテカティーニは保養地として知られる地だ。骨休めだったのだろうか。ルイジはふらりと訪れて、そのまま地場産業に入り込んでいった。とっかかりはソール製造機械の販売だった。どうやら商才には恵まれていたらしい。当時はまだまだ手裁ちが多かった。そうして足がかりをつくると、テキスタイルの製造に乗り出す(トスカーナというと革のイメージが強いが、じつはプラトーに代表される繊維の街でもある)。後発ながらジャカードのブームで一気に頭角を現した。バッグ専用で小回りがきくメーカーというと、ほかにはそうはなかった。

築き上げた会社をより強固なものとすべく兄をバッグのサンプル・メーカー、弟をスイスのテキスタイル・メーカーに出す。武者修行を終えた兄弟は狙いたがわず会社に利益をもたらした。

バッグのブランドをつくりたい――青写真が思いどおりの色彩を帯びはじめた矢先の青天の霹靂。しかし、ルイジは好きなようにやらせた。

マウリッツィオはイタリア人らしからぬ穏やかな雰囲気が印象に残る男だった。通訳を買って出た加藤のほうがよっぽどイタリアーナだった(笑)。そのせいでかすんでみえたのかも知れないけれど、きっと反抗期らしい反抗期もなかったんじゃないか。うれしそうに話す姿を見ていて、それは確信に変わった。


「高度経済成長の時代。わたしの世代のほとんどはこの業界を離れた。しかしおかげで先輩たちはそれは大切にしてくれたんです。なんてラッキーなんだと思いましたね」

そんな息子が人生ではじめて、夢を語った。ルイジは我が子の成長に目を細めたことだろう。

「ロロ・ピアーナもエトロももともとは生地屋であり、シャツ屋だった。そこから世界観を掘り下げるべく、あらたなプロダクトに挑戦していまがある。ぼくらだってやってやれないことはないんじゃないか」

現在、父のテキスタイル・メーカーとは別会社にして(といっても、家族はつねに近くにいるけれど)、20人ほどの職人を雇っている。アウトワーカーとも連携して製作にあたっているが、PVCのシリーズはすべて自社生産というのも魅力だ。


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Text:Takegawa Kei
Photo:Ozawa Tatsuya

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