シューデザイナーとして17年のキャリアを積んだ金子真が<カルマ
ンソロジー>を立ち上げた。金子は取材の冒頭、日本最高峰の既製靴をつくりたかったと語ったが、実物を手にとり、実際に足を合わせてみれば、それがけして大風呂敷の類ではないことがわかるはずだ。
<カルマンソロジー>デザイナーの金子真氏
高知の片田舎で育った中学生はなんともませていた。
「ぼくは古着が好きで、子どものころから古着屋さんが遊び場でした。そこに飾られていたのがアジェの写真集。その静謐な世界に圧倒されました。静謐なのに、ページをめくるたびに詩のような美しい言葉が立ちのぼってきた。そういう靴がつくりたかった」
ジャン=ウジェーヌ・アジェ。生まれ育ったパリの街を撮りつづけて、 近代写真の父といわれた写真家である。カルマンソロジーはCALM(静寂)とANTHOLOGY(詩集)を掛け合わせた造語で、アジェに着想を得たネーミングだ。
オーセンティックなデザイン、ほどよいノーズバランス。<カルマンソロジー>はいささかも奇を衒っていない。にもかかわらず、素通りできない存在感がある。みるものに引っかかりを与える。引っかかりの正体は、ディテイルへのこだわりだ。
その道のプロも胃がもたれる構造改革
指定したピッチにマシンは悲鳴をあげて、煙を出した。
「一寸12針。それがぼくの譲れないピッチでした。古い靴をみると出し縫いは数珠つなぎのようにピッチが細かい。もちろん手縫いだからできたピッチですが、粗いピッチはドレッシーさを損なう。マシンの限界を追求しました」
煙を出したマシンは、けっきょく買い換えることになったそうだから工場にとってはいい迷惑である。迷惑をかけておいて、金子は手を抜くことを知らなかった。その道のプロでさえ胃もたれを起こしかねないので読み飛ばしてもらって構わないが、以下、<カルマンソロジー>の成果を列挙してみよう。
あおり歩行(踵外側から着地し、文字どおりあおるように荷重ポイントを移動させて蹴り出す正しい歩行動作)を追求して導いた、中心線をずらした木型の構造。それでいてそのねじれがアッパーに響かない構造。インソールとヒールの設置面に1.5ミリの隙間を設け、歩行時の荷重を弾力的に吸収する構造。ほんらい直線で構成するエッジや閂の処理にカーブを入れて圧を分散した構造……。
上記はほんの一例に過ぎない。このことからわかることは、<カルマンソロジー>は丸ごといちから創造したといってもそれほど大げさではない、ということだ。
クリンピング(甲の峰のクセづけ)が必要なブーツにはアノネイのヴェガーノ、男らしい履きジワを入れたい一枚革の靴ならデュプイのサドルカーフ……といった具合に革の特性を見極めてデザインごとにつかいわけているのもすごい。もはや変態の一歩手前だ。
金子の変態っぷりはデザインにも存分に発揮される。好例が、ロングウイングチップ。金子はレースステイとロングウイングのパーツが平行に走るようパターンを切った。あらゆるところにブローギングが入るこの靴は豪華絢爛な力技で押し切っている、というのか、仔細に観察すればバランスが破綻していることが間々ある。金子にはとうてい許せなかった。鳥肌が立つくらいに。ロングウイングの横顔は平行線がもっとも美しい──信じてたどり着いたパターンは木型の立体を勘案し、ふたつのカーブで構成するというものだった。
木型から製靴方法まで大胆にメスを入れた<カルマンソロジー>は6年の構想期間を要した。そうして完成したデザイン画は、現場にとってまことに厄介な代物だった。金子は工場を訪れるたび、頭を下げっぱなしだった。
虚飾と無縁の靴
金子はあがってきたサンプルを、ヘネシーを水代わりに垂らして一足一足みずからの手で磨いた。もう少し身なりをきちんとしてくださいと小言をいう奥さんを無視して、金子は一心不乱に磨きつづけた。
「歳を重ねてディレクション的な仕事が多くなっていました。それはそれでやりがいのある仕事ですが、やっぱりぼくはプレイヤーが好きなんだなぁって」
あらためてプレイヤーとして舞台に立った金子と向かい合っていると、枯れる、という言葉が浮かんでくる。枯れるとは見栄や外聞に頓着しなくなるサマをいうが、そんな男が手塩にかければ虚飾が削ぎ落とされていくのはとうぜんだろう。
「デザインをするまでは無数の線が頭のなかを埋め尽くしている。それはもう、自分でももてあますくらいに。しかしいざキャンバスを前にすると描くべきラインが浮かびあがってきました」
唯一の遊び心は、水色で染めたソールだ。
「水色はなんにでも合う色だと思うんです。ほら、地球のほとんどは海と空じゃないですか。それと、静寂を想起させる色でもあります」
金子はこれまでのキャリアを一切伏せているが、それでいいと思う。この靴には肩書きや実績という下駄を履かせる必要がないし、似合わない。
Text:Kei Takegawa
Photo:Natsuko Okada
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