【インタビュー】<Tailor Caid/テーラーケイド>山本 祐平|古き良き渋谷の音が共鳴する
知る人ぞ知る玄人はだしのサクソフォーン奏者、山本祐平がセッションするお相手はプロミュージシャンにしてジャズ喫茶、渋谷スウィングの店主も務める鈴木興。ふたりが出会ったのはいまからおよそ25年まえのことで、代々木公園の橋の下だった。司会を務めるのは、オンワード樫山の石野綾太。
ジャズをとおして、アイビーのゴールデンエイジにたどり着く
石野 (壁に飾っている額を指して)いい写真ですね。山本さんの店にもありますよね。
山本 これはね、のちにビッグ・ピクチャーといわれるジャズファンなら知らない人はいない一枚です。1958年にハーレムのアパートのまえでエスクァイアのカメラマンが撮ったもので、セロニアス・モンク、カウント・ベイシー、チャールズ・ミンガス…往時のジャズメンに朝の8時に集合してくれってお願いしたら、60人近くになったという。
一昨年かな、(本日の対談相手の)興くんと一緒にいって、記念写真も撮ってきたよ。
石野 ほんとうに仲がいいんですね。
山本 言葉を交わした最初は代々木公園の橋の下ですね。ぼくは学校帰りにサクソフォーンの練習をしていたんです。いまでは著名なジャズメンもいっぱいいたね。
石野 玄人はだしだと聞いていましたが、そうでしたか。
山本 興くんのトロンボーンは子どものころからだよね。
鈴木 途中、遊びほうけましたけどね。祐平さんのことはスウィング(伝説のジャズ喫茶。後述)で目撃していて、すでに存在を知っていた。上下白のスーツを着ていましたからね(笑)。どちらともなく声をかけました。
山本 そしたら意気投合。
鈴木 自分の嗜好がわかってくれる人がこの世にいると思わなかったから、うれしくて仕方がなかった。ぼくの原風景は『奥さまは魔女』。音楽も、家具も、家のなかでクリースがきちんと入ったズボンを穿いているのもよかった。
山本 むこうのドラマや映画を観ると、BGMにいい音楽が流れている。調べてみると、それがジャズでした。はじめのうちはツェッペリンとかで友達と話を合わせつつ、隠れてジャズを聴いていた(笑)。聴き漁るようになって、ケイドのルーツであるアイビーのゴールデンエイジにたどり着く。カジュアルという概念がない時代で、かれらは普段からスーツに袖をとおしていた。実用から生まれた色気がそこにはありました。
石野 映画と音楽を入り口にテーラーの道を志すんですね。でも、山本さんは美術学校の学生だったわけで、その方面を目指していたのでは…。
山本 DCブランドが流行っていた時代で、このままでは大人になったときに着たい服がなくなる、せめて自分の服くらいはつくれるようにしておこうと考えて、学校終わりに仕立ての職人のもとに通い出すんです。
鈴木 この発想と行動力がすごい。
石野 鈴木さんは当時、どんなスタイルでしたか。
鈴木 やっぱりアメリカンカルチャーが好きでした。世は古着の萌芽の時代で、自分なりに組み合わせて海の向こうの都会的な着こなしを目指した。
山本 そうそう、まだみなの目が向くまえだからね。30年代のイギリスのヴィンテージや50年代のブルックスとか。宝の山だった。
鈴木 当時の渋谷は大人の文化がちゃんとありました。
大人の渋谷、復活計画
石野 鈴木さんはミュージシャンとして活動されているわけですが、いまはこの店のオーナーもやられている。そこらへんの経緯をお話しいただけますか。
鈴木 ここは昨年の9月にオープンしました。ジャズ好きならご存じですが、1955年、銀座に誕生したジャズ喫茶の草分けがスウィングで、ぼくはその名前をもらったんです。
山本 興くんと知り合ったのはオリジンのスウィングが渋谷の宇田川町に移ってからだったね。
鈴木 (頷きつつ)そんな名店も時代の流れには逆らえず、97年に閉店するんですが、あれよあれよという間に渋谷が若年化していった。このままじゃ大人の居場所がなくなるぞ、と祐平さんにそそのかされてきたんです(笑)。自分のなかでもいろんなタイミングが重なりました。ジャズ喫茶をやるなら看板はやっぱりスウィングしかない。人づてでオーナーだった宮澤修造さんの娘さんにたどり着き、相談したら二つ返事でした(宮澤さんはすでにお亡くなりになられていた)。
石野 おかげでほんもののジャズ喫茶に出会うことができました。
山本 一枚一枚針を落として、ていねいに音楽を聴く。贅沢な時間でしょ。
鈴木 ビスポークのスーツと同じだよね。
山本 やっとみつけた、って顔で入ってくるお客さんもいるよね。ぼくも仕事終わりの気分転換に欠かせない。最近はケイドの顧客なのに、目と鼻の先にあるうちをスルーしていきなりこっち、とか(笑)。
鈴木 クラウンクラウン(オーダーメイドの帽子店)も町田から移ってこられましたけど、あれも祐平さんに口説かれたんです(笑)。
石野 点と点がつながって、面になる。いいですね。これでまた、古き良き渋谷が復活するかも知れない。
鈴木 そうなったらうれしいですね。
山本 80年代の渋谷の空気はほんとうに良かったですよ。そのころはまだ、スーツが制服のアイコンじゃなかった。多様性があったんです。
鈴木 モッズ、ロカビリー、ジャズマン…。それこそ百花繚乱。で、みんなスーツにつぎ込んじゃうから、クラブへいくときの財布はすっからかん(笑)。
石野 山本さんにとって昨今の風潮はいかがですか。
山本 やはりスタイルの確立が大切ですね。ブランドに安心してしまわないで、みずからの美意識を磨いてほしい。誂えならなおさらです。誂えとは本来、着手のパーソナリティが浮かび上がる服なんです。
鈴木 教材はたとえば往年の映画。
山本 そうですね。襟をどうたてるか、タイはどんな調子で締めるか…こういう着さばきは銀幕のウェルドレッサーが教えてくれます。ドレープのある大きめのコートをざっくりと羽織る粋も映画から学びました。いまでも週に5本は観ますね。
石野 ケイドはいま、若い子が来るそうですね。
山本 わざわざ謳わなくても、匂いを嗅ぎつけてやってくるんです。古き良きアイビーやジャズに触れたいって。わたしも先人から多くを吸収してきましたから、サロン的な世界は目指すところです。
鈴木 海外のお客さんも増えているとか。
山本 じつはアメリカにおいてもゴールデンエイジに憧れをもつ方が増えているんです。鼻の利く若者のあいだで口コミで広がっているようです。
鈴木 バーバーやダイナーが復活するなど大きなうねりになりつつある。ところが服でそこそこいいのはカジュアルばかりで、骨太なスーツがなかった…。
石野 それにしても山本さんはぶれませんね。
山本 ひとつを磨く、というのは案外飽きないものです。ウディ・アレンの歴代の映画も手を替え品を替えてやってるように見えるけど、彼の中にある人生の機微やコンセプトのブラッシュアップだと思う。だから服の方向性はいうに及ばず、馴染みの蕎麦屋、バー…いきつけの店もずっと変わっていない(笑)。
石野 サックスは変わらず親しんでいるんですか。
山本 いままた上り坂にきていますね。といってもプロじゃないから好きなことができる。これがいい。ぼくは熱心なアマチュアといっている(笑)。
鈴木 来週の日曜、ひとり足りなくなりそうなんで、よかったら(ライブに)出てくださいよ。
山本 興くんはぶっつけ本番でやらせるからなぁ(笑)。
Text:Takegawa Kei
Photo:Fujii Taku
お問い合わせ
メンズ館5階=メイド トゥ メジャー
03-3352-1111(大代表)
メールでのお問い合わせはこちら